これは圏です(はてな使ったら負けだとおもっていた)

きっと何者にもなれないつぎの読者につづく。

棚上げ

Aであるべきだと主張するなら、自分もAであるべきだ。――全く以てその通り。

Aであるなら Bすべきだと主張するなら、自分もAな筈だからBすべきだ。――残念ながら間違い。


この間違いをする人、多い。二つの文は似てる。

前者の場合、主張した本人がAじゃなければ棚上げと呼ばれ後ろ指を指される事になる。

つまり、「Aと主張する癖にAじゃない 」を棚上げと呼ぶ訳だ。この論法を「棚上げ論法」とでもしておく。



対して後者の場合、構造は棚上げ論法と似ているが実は間違っている。



「A であるなら Bすべき」と云うのを「Cである」で代用し、これを「棚上げ論法」に適用すると、


Cであると主張する癖にCじゃない
≡「AであるならBすべき」と主張する癖に「A であるなら Bをする」訳じゃない
≡「AであるならBすべき」と云う癖に、A であるのにBじゃない


と云う事になる。つまり「棚上げ論法」に従えば、「A であるなら B すべき」と云う人を批判出来るのは、取りも直さず「Aの癖にBでない」ときのみと成る。


そりゃそうだ。だって「テストが有るんだから勉強しなさい」って云ってるお母様方だって、幼少時に必ずテスト勉強をしてなくちゃいけなくなる。良く「じゃああんたはどうだったのさ」と切り返す子供があるが、それは鋭い様に見えて実は意味を持たない切り返しなのだ。


棚上げ論法を詳しく分析すると、これは記号論理学に於ける矛盾律と同一である事が判る。分析しなくても判る。

要は、「(A)且つ(Aでない)」…論理記号で書くと「A∧~A」…みたいなフザケた状態が成り立ってるのはオカしいよと云う主張。


まあこんな回りっくどい云い方しなくても、「棚上げ」=「矛盾」って云う事だろう、と。


で、棚上げ論法と条件付き主張の問題に立ち返れば、「AであるならBすべきだ」、つまり「A→B(≡~A∨B)」と主張して居る人が~(A→B)ではイケナイと云う事になり、

~(A→B)≡~(~A∨B)≡ A ∧ ~B

当人がこの式を満たしていたらいけないということだ。



そして、この式が真に成るのは、Aが真でBが偽の時のみだ。つまり当人がAじゃなければべつにBだろうがそうじゃなかろうが矛盾してないって訳だ。
矛盾してないんだから当人がAじゃなくても怒っちゃいけないんだね!


だから、例えば「徹底するなら正確な表現を」と云う主張した人が居たとしても、その人に「徹底するんだから正確に表現しろよ」と云ったところで先程のテスト勉強をしない高校生*1と同レヴェルに成って仕舞うのです。気を付けましょう。



で、結局何が云いたいかは忘れた。

*1: (=私)