これは圏です(はてな使ったら負けだとおもっていた)

きっと何者にもなれないつぎの読者につづく。

はてブとかなんとか

思い掛けず反響があったので(八人もはてブされるなんてC++ for Haskeller以来の快挙!!)、もう少し詳しく書いておこうと思う。

ブコメへの返答はちと時間がないので、日曜にでも時間取ってやります。取り急ぎ本論のみ。

分類法の問題

さて、まずは昨日も述べた分類法に関する考察をもう少し詳しく述べてみようと思う。

id:otsune さんの分類法が『機能的特徴』に拠る物だという見解は昨日も書いた。これは科学的・合理的な分類法で、如何にもモヒカン族otsune さんらしい物と云える。そしてこの分類法に基く限りにおいて、『はてブ=ミニブログ』説を覆す事は出来ない。


対して、反はてブ派の人達は『はてブ=ブクマサーヴィス』であって、ブログにポストするのとは根本的に違うと主張している。件の記事のコメントでも「ブックマークと書いてあるのだからブックマークなんだ!」と主張してる人がいて、あの場でそんな意見が出るとは思わなかっから、思わず笑ってしまったのだけど(コメント主さんごめんなさい)、よくよく考えるとこれは本質的な言明なのだ。

この「ブクマはブクマ」論法は外見的・感覚的な分類法で、これを『感覚的特徴』に基く分類と呼ぶことにすると、これは至って日常的な感覚であると云える。


これら二つの分類法は直交するもので、排他的な関係にあるわけでは無い。
ならば何故これが論争になっているのかというと、otsuneさんの「感想報告ではなく第三者に向けての説明文なのだから、客観的な論拠を教えて欲しい」と云う要望*1に、(otsuneさんが納得するに足る)適切な答えを返せた人がいない、或いは要望を勘違いしてコメントする人がいると云う事なんじゃないかと。

だからotsuneさんは納得出来ないままだし、反対派の人達も、自分が頭ごなしに否定されている様に感じてしまうのだと思う。

ニコニコ的はてブ

ちなみにそう云うお前はどっちなんだと云われたらどっちでも良い派で、まぁ受験勉強の憂さ晴らしに書いてる様なもんです。


で、この分類上の立場の違いを意識せず反論するものだから、はなしがコジレてしまうわけで。


そこで今回私が提案する『はてブ=ニコニコ動画』説は、両陣営の中間を狙った、完全に客観的でも無いが感覚的すぎる事もない、両者の橋渡しをする様なものです。仮に『体感的特徴』に基く分類法、と呼ぶことにします。


さて、ニコニコ動画はてブそれぞれの特徴をまずは列挙してみます。

  • ニコニコ動画
    • 登録者だけが動画にコメントを付けることが出来る
    • 動画をアップ出来るのは登録者のみ
    • コメントは無制限に可能
    • 動画及びコメントを見れるのは登録者のみ
  • はてブ
    • 登録者だけがブクマにコメントを付けることが出来る
    • ページを登録できるのは登録者だけ
    • コメントは100字以内一つだけ
    • ブクマページ及びコメントは誰でも読める


なんだ、後半が全然違うじゃないかこれじゃニコニコ動画だなんて主張出来ないぞ……!という声が聞こえて来そうです。項目数上はその通り。唯、この議論の本質は数では無く内容にある。


まずニコ動を、矢吹駆宜しく本質直観してみると*2、「リアルタイムにコメントを付けられる動画共有サイト」と云う事になる。「みんなでやいのやいの良いながら動画を観ている感」がニコ動の大きな特徴と云える。


翻ってはてブは、ブクマページに飛ぶとまず目に入ってくるのは、元記事のサマリと、それに付けられたコメントの数々だ。コメントの隣には星が輝いていたりもする。

コメントの中には元記事に批判的な物もあれば、絶賛するものもあり、また、他のコメントに賛同するものもあれば喧嘩売ってる輩も居る。


これは一見雑談をしている様に見えないだろうか。こういう事態において、名前には『ソーシャルブックマーク』となっていても、読んでいる間は記事とそれに付随する議論群として読んでしまうのでは無いだろうか。勿論、コメントが書けたり共有出来ると云う事は、ソーシャルブックマークの特徴である。

誰が云ったか『はてブ衆愚化』と云う言葉もある。これははてブと云うサービスが衆愚化した、と云う訳ではなく(そもそも意味が通らない)、はてブで遣り取りされるコメントが衆愚化したと云う主張であろう。こうした表現があることからも、はてブはコメントが主であると結論して良いだろう。

まあそもそも、今回の論争もコメントを巡るものだから、はてブはコメントが命!なんて今更云うべくもないことではあろう。

こうしたコメント重視傾向は、ニコ動と似通った物であると云ってよい。
また、ネタ記事に「これはひどい」タグがお約束のように沢山付けられるのも、ニコニコにおける弾幕と似たものと指摘できる。

ユーザは意識せずに、知らず知らず雑談を見ている気分になるわけだ。


ところが、ニコ動は無制限にコメント出来るが、はてブには百字以内で一回までと云う制限があるため、実際上は雑談の場にはなり得ない。しかしコメント欄を読む時は、あたかもそうであるかの様に捉えがちである。
また、百字制限のために、各コメントは凝縮されて書かれる事が多い。だから、ストレートな表現になることも多く、批判的コメントを読んで過剰反応に陥りやすくなるのも頷ける。


受け手が無意識の内にブクマとしてではなく雑談所と見做してしまう・・・その実情との齟齬が違和感の一つの元となっているのではあるまいか。


そして、はてブとニコ動との決定的な差異は、登録者の間だけで閉じているか否かである。
ニコ動は投稿もコメントも登録者のみだが、その代わり閲覧も登録者に限られる。自分の動画なり何なりが勝手にアップされていても、中々その事実を知り得ないし、知ってもコメントを読むことは出来ない。そして登録しているならコメントをその場で付けて、雑談にさんかする事が出来る。

対してはてブは、誰が何を云っているのか誰でもわかる。しかしブクマで反論するには登録する必要があり、それでも制限上全てに反論する事はできない。


だったら自分のブログでやりゃ良いじゃん、と云うのがotsuneさんの主張で、対する反対派はあれはブログじゃないと主張している。

しかし今までの議論を踏まえると、以下のように分析できる。

  1. ユーザは意識するとしないとに関わらずブコメをニコニコ的雑談として受け取っている。
  2. そこで批判を受けたりすると、その文脈において反論を試みたくなる。
  3. しかし、ブコメには会員登録が必要であり、また、コメント自体に長さ回数の制約がある。
  4. 従ってその雑談の範囲内では反論が困難である


ここでポイントとなるのは、体感的分類法では、ブログや他のサービスでは雑談に参加した感が出ない事である。
ブログは『記事』という単位からも伺えるように、雑談と云うよりは、纏まった意見表明文乃至は日記と云う位置付けになる。

またTwitterでは呟き過ぎて流れるし、ニコ動に書き込むのは何だか根本的に間違っている。大体ニコ動でどうやって反論を表明するのだ。誰かの動画にポエムをのせるのか、それとも主張文を読み上げる動画を流すのか、高橋メソッドみたいな感じでやるのか。何れにせよ著しくオーヴァースペックであるのは否めない。


はなしが逸れた。要約すれば、雑談の感覚ではてブを捉えてしまい、さらに日常の価値尺度(オフラインでの生活の基準)で考えて行動してしまうため、議論の起きている場を離れたところで新聞配ったり大声張り上げるのではなく、その場で片付けられないという事に違和感を感じているのではあるまいか。或は、遠くに張り紙したり街宣車を乗り付けても、気付く人は気付くが気づかない人もいる・・・それではそんなところで反応してもしょうがない……と考えているのかもしれない。


この体感的な分類法でいくと、うまいこと客観的に説明しきることは出来ないにせよ、反対派の人たちが感じている違和感の正体には、ある程度迫れると思います。すなわちこういう日常の距離感をネットに持ち込んでしまった故ではないかと。


結論:ニコ動みたいなブクマサービスが求められている!眠い!争いを呼ぶはてブは爆発しろ!!ついでに予備校爆発しろ!!

*1:誤読していたら教えて下さい

*2:本質直観と云う言葉を使って見たかっただけですごめんなさい