これは圏です(はてな使ったら負けだとおもっていた)

きっと何者にもなれないつぎの読者につづく。

あなたが「10の理由」を書かない10の理由

10の理由なんて職場じゃだれも使ってないんだよね、それにもう流行ってないし

まずはこれから。よく聞くんだけど、これは解決可能な問題だ。というか、問題設定が間違っている。


最初に根本的な疑問なんだけど、なぜ職場で使っているのとおなじ論法をあなたが使わないといけないんだろう。慣れてるから? 仕事を持ち帰るから?


自分の為に使うのは「10の理由」で良いとおもう。あなたが自分のためにやることってなんだろう。プレゼンするときと同じ論法で話すことかな。そうじゃないだろう。ここを読んでいるほとんどの人にとって重要なのは、メールを読み書きして、はてなを見て、10の理由を見掛けて、なにかパロディを考える、っていうことだろう。他にも、昔思い付いたネタを整理したり、そのうちに先を越されたりっていうのもある。この中には、10の理由じゃできないことっていうのはたぶんない。特に、会社でやっているプレゼンと同じ論法にしなきゃいけない理由はどこにもない。

ちょっと飛躍するけど、あなた自身が買う論法というのは、あなた自身の表現の道具なんだ。あなたはそれに最も適切な道具を選ばなきゃいけない。それにもしあなたが日常的にプレゼンをやるような人であっても、10の理由を使ったほうがかっこいいと思うよ。

自宅を職場にしたい、それも会社で云っているようなあれやこれやとほとんど同じことを云える場所にしたい、って思っているなら、そのときは仕方ない。でもそういうことは会社でやった方がいいんじゃないかなあ。自分の論法っていうのは、自分のために使うものだよ。

さて、職場と自宅の会話がそんなに切り分けられていない人とかもきっといるよね。すごいワーカホリックの人とか。自分の論法で仕事もしちゃいたい人たちだ。そんな人にも使える奥の手がる。会社でも10の理由を使えばいいのだ。これについてはここでは詳しく書かないけど(あとで書くかも)。

いままで忘れてた(というか考えもしなかった)けど、もうひとつの可能性があることに気がついた。いま職場とかで普通の論法を使ってるとして、新たに「10の理由」の使い方をおぼえるのがめんどくさかったり、使いこなせるか不安だったりする人もいるんだね。でもそれなら全く心配いらない。「10の理由」は最高に使いやすいし、使っててたのしいからあなたも使い始めればすぐに慣れるよ。それまで躊躇していたことを不思議に思うようになると思う。

(あ、流行りについて言及するの忘れてた。まあいいいや)

「10の理由」を使って読者が去ったらどうするの、読者が少ないのは不安だよ

あとで書く。

「10の理由」ってMacとか使ってる人向けでしょ

これは流石に最近は少なくなった誤解だけど、でもたまに聞くことがある。

たしかにMacやアップルの狂信者で「10の理由」使ってる人は多いよ。でもそれ専用というわけじゃない。もちろん「10の理由」にはプロ・アマ問わず説得力やお節介感を作り出すためのクリエイティヴな要素がたくさん用意されている。特にパロディはネタを思い付いた人なら誰でもそういったものを作り出すことができる、とても素晴しい手法だ。

でもそれだけじゃないのだ。特にその分野に関わりがない人でも有効に使うことができるし、むしろそういったクリエイティブ系の人たちよりももっともっと「10の理由」に向いている人たちがいる。中でもここでは特に私がよく知っているタイプの人たちに焦点をあてよう。それはネタ師だ。

そう、いまや「10の理由」はネタ師向けの論法なのだ。「10の理由」は最も簡単に枚挙できて最もたくさんのパロディ数を持っている論法だ。最初からはてぶがついてくる。これに関する細かい去年も書いたのでここでは省略するけど、あれからもますますネタ師が「10の理由」を読んでバリバリ使いまくってる事例は増えている。そしてこの日記を読んでいる人はみんななんらかの意味でネタ師だと思うから、あなたたちは全員が潜在的に「10の理由」ユーザだ。

「10の理由」じゃなくてもパロディにできるよ

パロディの話が出たところでこちら。ネタ師からよく聞くやつだけど、これも「10の理由」を使わない理由にはならない。

ネタ師に狂信的雰囲気が有効なのは認めてもらえると思うけど、そうすると「10の理由」じゃなくても反相対論やID論を普通の文章に入れて使えばいいじゃないかって言われる。またはシュレ猫の新解釈とか水からの伝言とかをいいっていう人や、納豆とかをネタにしてるという人や。その人たちはパロディの対象が必要なんだけど、「10の論法」じゃなくてもいいという。

でも、それはそうだけど、やはり標準で、コピーしてきたままで書くべき内容が決っているというのはメリットが大きい。なんといっても楽だから。自分で苦労して構成を考えたりとか、ネタ元を探してきたりとか、日本だとさらに日本の時事ネタを追求したりとか、それはそれで勉強になったり楽しかったりするかも知れないけど、「10の理由」の場合はそのへんの苦労を味わうよりも引っ張ってきて言葉を入れ替えて適当にヒネリを加えたらすぐ快適な生活をたのしみましょうよ、という感じ。

それにそもそもネタの格好の餌食になりそうな論法がいかに進化してきたといっても、「10の理由」と同レベルまで見た目がきっちり統合されていたり、内部外部問わず各種のカテゴリーをサポートしてたり、っていうのはいまだ無理だよね。「10の理由」だと持ち運ぶときのネタのディテールを細やかに決めて、それに合わせて内容を変更したりできるし、編集は文字を置き換えるだけだし、ネタを仕上げるのも速い。ぼかの論法をネタにするときに観衆に通じないというトラブルがよく報告されてるwけど、そのへんも心配ないよ。

ここで、媒体が均質に整えられていることが重要になってくる。はてなが「10の理由」では確実にはてぶをゲットできるように常に気をつけていてくれるからね。当たり前だけど。

まあもともとネタなんていう言葉を意識しなくても使えるようになってるし(実際知る必要はない)、知っていたら知っていたでマニアックに追求していくこともできるっていうのが「10の理由」の特徴だ。この両方を兼ね備えているものって他にあるかな。いまのところは「10の理由」だけじゃないかな。

「10の理由」って理由が10個あるだけでしょ、あとはそんな変んないよ

もちろん理由が10個あるだけじゃないんだけど(それについてはこの前後とか去年のとか見て)、もしたとえ理由が10個なかったとしても、その価値は非常に大きいんだよ。それについては去年書いたことの繰り返しになっちゃうけど、道具としての価値を高めるのは10の理由あればこそだから。格好のネタ元を毎日見て触れて過ごしてると行動や思考がそれに合わせて洗練されていくのは誰でも実感としてわかるでしょ。

変なたとえかも知れないけど、id:ogijunさんが書いた「10の理由」を毎日見て暮らしてる人は、Macの良いところがひと目でわかる、というような。

それに「10の理由」は「あとから」変更することができない。「10の理由」は「最初から」よくなくちゃいけないんだ。ネタ師もソフトウェアも。最初からよいものを作ろうという強い意志がないとかっこよくならない。

だから「10の理由」以外の論法を選んで、余裕があったらかっこよく整えていこう、というのはあんまりうまくいかない。まず「10の理由」をチョイスして、かっこいいなーと思いながら毎日いろいろと他の部分を整えていく、というのはうまくいく。

こと類似の批判に、ネタを考えるのは時間の無駄だからやめてくれとかいうのもある。これも同じことで、標準で、最初から、分かり易く設計された論法を持っていないと、あとから分かり易いネタが欲しくなっても手に入らないんだ。「10の理由」をしばらくつかってラクなパロディ作業に慣れてしまうと、いかにそれまでしていた作業が野暮ったいかに気がつく。これは時間とトレードオフしてたら永遠に気がつかないと思う。

10個の理由こそが本質なんだ。だから「10の理由」には使う価値がある。

「10の理由」は理由が10個あるから最高とか言うけど、それPlaggerでできるよ*1

いやいや、最初から10個っていうのが重要なんだよ。他の記事で一見10の理由っぽく見える記事はあるけど、雰囲気までコピーできるのは見たことない。こればっかりはしばらく使ってみないとわかんないと思うけど。

つづきは後で書く

「10の理由」なんて遅いよ

「10の理由」は良いとおもうけど、書くのが面倒臭いんだよね

「10の理由」じゃなくてもネタにできるよ

この項、今書いてる

「10の理由」、最近みんな使ってるからやだよ

こんな理由を聞くようになったっていうのは、それだけ「10の理由」が流行ってきたってことで、よろこばしいことではあるよね。たとえその人がつかわなくても。でもだからといってせっかくリーチしてるネタ師さんを逃すのももったいないからやっぱりつかってもらおう。

だいたいこんなこと言うってことは「10の理由」にそれなりの、いや強烈な魅力を感じてくれてはいるんだよね。いろいろなルートで「10の理由」のことは知ってくれてて、利用シーンとかも想像できてるわけ。しかも、みんなが使ってるのが目につくってことは、その人のまわりのコミュニティで使っている人がたくさんいるってことで、つまり自分だけじゃなく周辺の人まで含めたネタの使用用途に「10の理由」がとてもフィットしているっていうことだ。そういった環境に身を置いておきながら、あえて「つかわない」ことを選ぶのは効率性からいってもとても好ましくない。その人が凄腕ネタ師だったらなおさら人類全体の損失になる。だからこの場合はまわりにいる人もがんばってほしい。

さて、「10の理由」はたしかに一部のコミュニティに認知されてきたから、そこにいる人みんな「10の理由」っていうのもたまに見かける光景になった。その中で自分も同じ論法を買うのは、人と違うことをしたい場合はなんかシャクなのも気持ちはわかる。特に「10の理由」は理由の選択肢が多いわけじゃないからポータブルなネタが欲しかったらわかりやすいネタを選ばなきゃいけなくて、どうしたって誰かとはカブる。

でもねでもね、「10の理由」は使ってればいいものじゃなくて、使った上でなにかをネタにするものだ。そして、その使い方というのはそれこそ千差万別、ネタ師の数だけ使い方がある。それに「10の理由」は、特にネタ師にはその想像力を最大限受け止めてくれるものだ。洗練された10個の理由と常に貪欲に進化するネタ師のネタへの執着心によって、ネタ師の思考を加速してくれる。みんなと同じ「10の理由」という入れ物の制約を受け入れることによって、より可能性を広げてる人がたくさんいる。Constraints are Liberating! だ。「10の理由」 is the Straight Jacket for Your Mind!! なんだよ。これで十分じゃない?



あと、これはおまけ。

このネタつまんないよ

読んでる人少ないからおけ(と書いとけと言われました)。

元ネタ

*1:嘘です