これは圏です(はてな使ったら負けだとおもっていた)

きっと何者にもなれないつぎの読者につづく。

一学生として、国旗国歌強制問題に思う

http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/photojournal/news/20060922k0000m040087000c.html


……だそうです。
最近の先生方は大変なんですね。


君が代」が天皇を讃える歌だから強制はいやだ。日の丸は(君が代も)日本がアジアを侵略した時の旗(歌)だから強制は出来ない。

というのが君が代強制反対の先生方の主張のようです。そして其れを受けての判決が「思想・良心の自由の侵害に当たる」という事。


でも、君が代天皇を讃える歌だからいやならば、解釈を変えればいいじゃないですか。自衛隊だって解釈の仕方で合憲になるんです。だったら、君が代も解釈を変えればいいんですよ。民が代じゃありませんが、「君が代は」の部分の解釈を変えればいいんです。

現在の解釈では「君=君子=天皇」でしょ?だったら「君=あなたたち」とすれば、「あなたたちの代は千年八千年、さざれ石が大きな岩となり、その上に苔がむすまで永遠に続きますよ」と言う意味になります。ここであなたたちとはだれか。どう考えても国民でしょう。国民の世が永遠に続く。……いーじゃないですか。民主主義を讃える歌ですよ、これは。



それに、「日本」という国名だって、アジアを侵略したときの国名です。国旗がいけないのなら、この名前もいけません。……尤も、昔は「大日本帝國」で、今は「日本国」ですが。でも日本という部分はかわり有りません。
もちろん、日本がアジアを侵略したのは許されざる事でしょう。ですが、だからといってその国旗を使えないのは行きすぎです。

それに、(ちょっと苦しいですが)寺院を表す万字だって、ちょっと回転すれば、第二次世界大戦をおっぱじめたナチスドイツが使っていたハーケンクロイツです。……苦しかったか。ごめんなさいorz
('-')!そうか!じゃあ、日の丸も回転すれば(ry


勿論、指導しなかったからと言って馘にするのは間違いです。大きな間違いです。


ところで、この裁判で勝訴した人はどうするんでしょう。生徒に「歌うな」と指導するのでしょうか。
否、まさかそんなことは有りますまい。何故なら、「天皇を讃える歌だから歌わない」というのは「一方的な一定の理論や理念を教え込むことを強制すること」に等しく、「不当な支配」にあたるからです。

それでも恐らく――恐らくごく少数だとは思いますが――君が代を歌わないことを強制しようとする先生も出てくるでしょう。そうなったとき、僕たち生徒はどちらの云うことを聞けばいいんですか?
それに、注意しなかったとしても生徒から「何で先生は注意しないんですか?」と聞かれたらどう答えますか?



それから、生徒の身勝手な視点から更にもう一つ云わせて下さい。
ここから先は非常に身勝手なことを云っている部分も多々あります。なので続きを読むを貼っておきます。


先ず問題なのは、先にも挙げた「国歌不斉唱・不起立を注意する先生と注意しない(むしろ奨励する)先生がいる」ということです。生徒達はどっちに従えばいいんですか?どっちの先生のも言い分があります。どっちの云うことも生徒には尤もらしく聞こえます。そんな二通りの先生が居たら、生徒は混乱して、卒業式が台無しになる(とは言い過ぎかも知れませんが)だけです。


生徒にそう言った歌を押しつけ歌わせるのは良くないことだ。……自分で教育について考えて、自分なりの教育論を持つというのは教師として素晴らしいことでしょう。ですが、果たして、その思想を押し通そうということで、生徒が混乱したりするのは良いことなんですか?


「子ども達に強制することは一方的な理論の押しつけだ。戦前の教育に戻るだけ」おそらく、有識者の方々から見れば其れで正しいのかも知れない。ただ、僕ら生徒にとっての現実は、歌えと云われたから歌っているだけだ。其れ未満でも其れ超過でもない。特に何にも考えずに、そうそれは、黒い靴下が禁止な様に、学校では制服を着用しなければならないように、”決まりだから”、”云われたから"やっている。唯其れだけだ。

先生方が思っている程、自体は複雑じゃない。……原告団長の校長先生は、「国旗国歌に関して息の詰まるような雰囲気だった」と語る。確かに其れは先生方の自由を侵害していただろう。これは大いに同情すべき事だと思います。
でもね、、、先生達は考え過ぎなんです。歌いたくない生徒だって、ただ単純に先生がうざいから、めんどくさいから歌ってないだけなんです。中にはこのケースの様に、確固たる意志を持って歌わない生徒達もいるかもしれません。
ですがこれだって、よくよく考えてみれば学校の運営も一方的な一定の理論に従って学校行事を挙行している、つまり、そう言った理論を不当に生徒に押しつけているのだ、ということになるとおもいます。



結局のところ、何が言いたいのかというと、先生達は考えすぎだと云うことです。
生徒達にとっては、歌わされるのは制服を着させられること、校則を守らされることと同じ事なんです。


そんな程度のこと(というとこの問題に真面目に取り組んでいらっしゃる方々に失礼ですが)で、混乱させられる生徒のことを考えて下さい。
この先生達の云っていることは確かに生徒のことを考えている様に見えます。

でもそんな思想の為に卒業式や入学式がぶっ壊されるとすれば……果たして本当に生徒のことを考えていると云えますか?
「思想の多様性を認める」といっていますが、其れは裏を返せば自分の思想を守ろうとしているだけ・生徒にその思想を植え付けたいだけに過ぎないのです。だったら、はっきりとそう言えばいい。

裁判でうんぬんかんぬんだったと言われても、生徒からすればそんなのどうでも良いんです。生徒の目からは、そんなの先生自身の為にやっていると映ります。


懲戒処分は確かに間違いです。でもだったら「懲戒処分は間違いだ」とだけ云って訴えればいいじのではないでしょうか。そこには生徒の事も何にもいりません。


注意しつつも、「実はこうこうこうでね」と云いながらであれば、コチラの意志を伝えることは十分に出来るでしょう。立つなと云われるよりも、否応に立てと云われるよりも、生徒の側としてはその方が従いやすいです。それに、きちんと注意しているんですから、違反とは云えないはずです。


国旗国歌の強制は確かに、良心・思想の自由の侵害です。でも、そんなの生徒としてはぶっちゃけどうでもいいんです。生徒にとって苦痛じゃなければ、そこまで先生方も頭を悩ませる必要はないでしょう。もっと柔軟に柔らかく接していけばいいのですよ。


違憲か合憲か。それは専門家に任せておけばいいのです。そして先生方は、できれば、生徒のことを第一に考えて欲しいと思います。
勿論、僕ら生徒には分からない大人の事情という物もあるでしょう。でもできれば…………先生という人たちは、生徒の為に在るべきだとおもいます。


人間は、どうも物事を難しく考えすぎるのです。


後半は随分と身勝手な言い分を書き連ねてきました。でも、ここに書いてきたのは僕の中の率直な意見です。
何も理論的ではないし、感情的だし、ちょっと攻撃的かも知れないし、的はずれだし、意味不明です。でも、この問題の中心にいる人たちが忘れていると思ったので、書きました。


沢山突っ込み所在ると思います。ご意見指摘などが有ったら是非聞かせて下さい。