これは圏です(はてな使ったら負けだとおもっていた)

きっと何者にもなれないつぎの読者につづく。

落下考

気づいたら落下していると云うことがあり、中々厄介である。

大抵の場合、落下は一分と掛からずに終了するので、そうした場合は目をつぶっていればそれで済むのだが、時たま超高層から落下すると云うこともあり、この場合落下時間の推定と云うのは容易ではない。

どんな場合に落下するのかと云ったことがわかっていればこちらとしても幾分心の準備が出来ようものだが、生憎とそれは落下する瞬間までわからないときている。スヤスヤと寝ていたはずがいつの間にか落下していたり、書店を冷やかしていたら足許が消失したり、ゆきずりの女性と一夜を共にせんと布団に潜った筈がいつのまにか落ちていたりと、その直前の状況にもまるで一貫性がない。
無論、落ちるシチュエーションが千差万別なら落ちる先と云うのも変化に富んでいて、オーソドックスなアスファルトから洋々たる海面、月の表面、場合によっては蚤の背中などまるで節操と云うものがない。

落下すれば当然痛い。それはそうだ。高所から地面に叩き付けられて痛くない筈がない。血だって出る。肉だって剥れる。最悪死ぬ。最悪死ぬので出来れば落下したくないと思うのが人情だが、落下の方はこちらを中々こちらを忘れてくれないようで、忘れた頃に思い出したように落ちる。

それでもひところよりは落下の頻度と云うものは減ってはいる。噂によれば最近では他にも落下する人がちらほら出て来てもいるらしく、落下の方が別の人間に興味を持ちだしたと云うことらしい。とは云っても依然としてお決まりのコースではあるらしいと云うのが現状である。あちらを落としこちらを落としとコロコロと対象を変えるのは落下の方としても面倒だろうと思うので、新しい候補が見付かったのならそちらに集中して欲しいと云うものだが、相手が落下に適する人間であるかどうかと云うのを見極めたいと云う魂胆なのだろう。


とまれ、私以外の人間が落下させられる頻度と云うものが増えてはいるのだから、これは私が段々飽きられつつあると云うことで良い兆候だ。落下の始まりも突然なら、終わりも突然やってくるに違いないと呑気に構えている。私が落下する以前には誰が落下させられていたのか、それとも私が落下のし始めなのか、その辺りは私の感知するところではないし、興味もない。取り敢えず、落下は痛い。


しかし──と思う。私も大概この落下と云う現象に慣れてきており、突然落下しなくなったなあ、と云うことに気付いたらそれはそれで寂しく思うのではないだろうか。確かに痛いし、時折死ぬし、落下と云うのは勘弁してほしいと云う心持ちではあるのだが、何度も繰り返す内、落下していると云う事実に対して安心感と云うか安定感と云うか、とにかくそういった感情を覚えていることに時折気付く。
まあ、これは麻痺とか適応と云う奴なのだろうとは思うのだが、ひょっとすると情が移ると云うこともあり得て、些か判断に困っている。気のせいだとは思うが、そうは云っても感じるものは感じるし、正直持て余しているのが現状である。自己分析めいたものをすることも出来るが、自己分析をする自分、を自己分析する自分、を自己分析する自分……と際限がなく続けることが出来、その度に出る結論も異ってくるとなれば最早やるだけ意味の無いこととしか思えない。

まあいずれにせよ、落下頻度が減っているのであればそれは結構なことであり、喜ぶべきことである。──頭ではそう考えているし、事実そうなのだろう。頻度が減ってきた、と云ったが正確にはここ数ヶ月間いちども落下しておらず、おそらくこれは自己最長記録を更新していると考えてよいだろう。だからもう殆んど落下は終わったものと考えても差し支えないのだが、そこは落下のこと、長期間おいて油断したころにヒューーッ、と云うこともありえて一概に判断は出来ない。


このように書いていると、恰も落下を渇望しているように見えるが、そう云うことはない。と云うことに表面上はしている。落下するなんて社会通念上も良いものではなく、ましてや世の受験生や就活生などと云う人種にあっては言及すら忌避するレベルの概念だ。そんなものを渇望するのは尋常な人間のすることではない。それでぜんたい君は尋常な人間であるのか、と問われてはいと答える自信はないが、とにかく自分が最近めっきり訪れなくなった落下を無意識下では渇望しているなどと云うことを、誰しも考えたいとは思わないものだ。


だからまあ──この現状でよいのだろう。落下の方は私のことをすっかり忘れてしまっているようだし──まあその陰で別のひとが散々落下されているのだと云う事実については世の中には犠牲と云うものは付き物だと云うことにして──私の方としてもあの忌々しい落下のことをこのまま忘れてしまって何も問題はないし、寧ろ積極的にそうすべきですらある。


しかし──暫くの間は、落下することを考えているのだろう。それがきっと、人間と云うものだ。