これは圏です(はてな使ったら負けだとおもっていた)

きっと何者にもなれないつぎの読者につづく。

不完全性定理×ミステリ

ネットを検索していたら、不完全性定理とミステリを結びつけて扱っている文献が、いくつか見つかりました。
それを読んで考えた事を書きます。……といっても、話題の旬を逃してそうだし、同じ事いってる人居そうですが。トンデモ覚悟で聞いて下さい(何


まず、不完全性定理について復習しておきます。不完全性定理は、クルト・ゲーデルが証明した定理で、現在では第一不完全性定理と第二不完全性定理と呼ばれている物があります。以下の二つです。

  1. 算術を含む、帰納的な形式的体系Tが無矛盾ならば、決定不可能な(真とも偽とも決定出来ないような)命題がその体系内に必ず存在する。
  2. 算術を含む、帰納的な形式的体系Tが無矛盾ならば、自身の無矛盾性をその体系内で証明することは出来ない。

難しい表記を使いましたが、第二不完全性定理について云えば、「形式的体系が無矛盾である限り、自分が無矛盾であることを証明出来ない」ということです。
形式的体系とは何か、については『「形式的」とは何だろう』に僕のなんかよりわかりやすい解説が載っていますので、そちらをご覧下さい。

では、本論の方へ。
不完全性定理×ミステリ論は、不完全性定理をミステリに適用して、「ミステリはその物語内部では推理が無矛盾であることを証明出来ない」ということらしいです。なるほど、尤もらしいです。
確かに、小説の中の人物としては、推理が無矛盾かどうかは最後の最後まで分からないこともあります。


ですが、不完全性定理は『形式的な体系』について、「自身では決定不可能な命題を含む/無矛盾性を自身の中で証明出来ない」のです。
つまり、不完全性定理がミステリにも適用されるには、ミステリが『形式的体系』で有ることを証明しなくてはなりません。

しかし、ミステリという多種多様な形態をもち、しかも現実世界を元にして作られている(一部そうでない物もありますが)ものです。それを公理化・形式化することが出来るのでしょうか。……まあ、確かに「できない」と証明されたわけではありませんが、公理化・形式化され、型にはまってしまった物が、ミステリとして読んでいて/書いていて楽しいか、と考えたとき、やはりそれは楽しくはないでしょう。*1

また、仮に形式的体系として定義することが出来ても、それはあくまで『その体系内で』の話しであって、その外側の、別の体系からであれば無矛盾性を示すことは出来るわけです。
では、その外側の別の視点と云う物をどうするか。これは、「作者の視点」を導入することで解決出来るのではないでしょうか。
ミステリが、本ないしは電子的な媒体を通じて公開されたとき、作者がその無矛盾を保証しているものと解釈すればどうでしょう。或いは、読者への挑戦を挟むというのも一つのてかも知れませんし、こっちの方が一般的でしょう。いずれにしても、これは全く問題無いのではないでしょうか。


さて、延々とわかるような、わからないような、準屁理屈を語ってきましたが、云いたいことを纏めると、

ミステリに不完全性定理はまず適用されないだろうし、仮に適用されたとしても、他の視点から見て保証されていれば大丈夫。

ということです。まあ、つまりミステリは安全だろう、と。よかったよかった。


さて、専門家面して延々と書いて参りましたが、まあ、受験を目の前に控えた一学生が書いてることですので、間違いとか色々あると思います。というより、沢山あるでしょう。みつけたら、小さいことでも良いのでコメントに残していって下さると嬉しいです。


それでは、最後まで読んで下さったみなさん、ありがとうございました。

*1:恐らく、不完全性定理との組合せを発見した人も、「ミステリは不完全だ」ということを示そうという気持ちでやったのではないでしょうので、この反論が無意味かもしれませんが、書いてみました(笑。そもそもこの準屁理屈は『不完全性定理とミステリは組み合わせられないぞー』という事を示したいわけですし。